しかしガバナンスだけでは企業不正は防げない
米欧と日本のガバナンスの違いを調べるために、日本経済新聞社広告局豪SIRIS社アナリスト松岡智広氏の記事を引用した。オリンパスの不正が起こったことに関して、日本の企業ガバナンスが欧米の企業ガバナンスと異なるからなのかどうかは以下の記事を読んでも明確ではなかった。というのは欧米の企業ガバナンスであっても「2001年10月、経済紙がエンロンと子会社の癒着を暴いたのを皮切りに、粉飾会計など不正な株価操作の事実が次々と発覚。そのスキャンダルによって株価は大暴落。負債総額が少なくとも160億ドル(約1兆9600億円)を超える、当時のアメリカ史上最大の企業破綻となった。二重帳簿で生みだした多額の利益を横領していた社員2名。そんな人間を、解雇するどころか逆に昇格させたCEOたち。自信たっぷりな口ぶりでジャーナリスト、アナリスト、大学教授までをもだまし続けた彼らは、単なる“金の亡者”以上の不思議な魅力を放つ」という現実を直視すると、企業不正は防げないことがわかる。欧米の取締役会に監査委員会があるが、日常的には会計帳簿が改ざんされているとしては想定していないので、それを暴くことは困難であると思える。エンロンもオリンパスも基本的にはメディアにリークされた内部告発で発覚しており、ガバナンスの違いではない。
先日、ある国際会議の分科会で、ヨーロッパのSRI調査会社のマーケティング担当者が国や地域別のSRIレーティングの分析を発表していた。発表者の示したグラフを見ると、環境面では日本は欧米より優れた結果を出していたが、コーポレートガバナンスについては棒グラフの高さが目に見えて低い。これを受けて、同じパネルにいた日本人の発表者が、なぜ日本企業のコーポレートガバナンスについて低い評価結果が出たのか質問した。ところが、発表者はその理由を明確に答えることができなかった。
日本企業のコーポレートガバナンスのレベルは本当に低いのだろうか。経営トップの関与した企業スキャンダルは日本だけ突出しているわけではなく、世界各国で起こっている。日本に対し欧米に比べて低い評価が出たのはなぜか。実際にそういう評価を下した者が理由を答えられないというのもおかしな話だが、そもそも何をもって「よいコーポレートガバナンス」と評価しているのか。
ここでは取締役会制度に絞って、コーポレートガバナンスについて考えてみよう。欧米におけるガバナンス体制の前提となっているのは、経営の執行と監督機能の分離である。経営の執行は、CEOを頂点とする執行役たちが担い、それを取締役会の取締役たちが監督する。このため、取締役会のメンバーは過半数が経営の執行にかかわっていない独立した取締役によって構成されるべきだとされる。執行権を持つ取締役はCEOただ1人だったり、COOやCFOなど多くても2、3人だったりすることが多い。
取締役会の構造が異なると、役職の意味も違ってくる。会長は、通常、取締役会の議長という意味であり、社長職禅譲に際して新社長に対する後見職として前社長が就任するような日本における会長職とは位置づけが異なる。米国では会長が執行権も持って経営に直接関与している、いわゆるECと呼ばれるケースがよく見られるが、この場合も、取締役会議長という役割を指して会長ということに変わりはない。社長とCEOという言葉の関係も微妙だ。日本企業でCEOという役職名を採用している場合は、社長イコールCEOという場合が多いようだが、企業によっては会長が会長兼CEO、社長が社長兼COOと英語版のレポートやウェブサイトで紹介されていることもある。
取締役会内には各種委員会が設置され、代表的なものとしては監査委員会、報酬委員会、指名委員会がある。これらの委員会は単なる諮問機関ではなく、具体的な決定(あるいは株主総会への提案の決定)に関する権限を持っている。このため、これらの各種委員会はやはり過半が独立した取締役により構成され、特に監査委員会についてはすべてのメンバーが独立した取締役であるべきとされる。
ここまでで明らかなように、そもそも取締役や取締役会の位置づけが根本的に違う。まず、取締役はCEOなどごく数名の執行権を持った役員を除いて、外部から招聘される。次に、取締役会の基本的役割は、CEOをトップとする執行役による経営を監督することにある。そして、CEOとは基本的に取締役会によって雇われている立場にある(と認識されている)。このため、経営不振の企業のCEOが任期の途中で取締役会によって解任されるということは珍しくない。このような事態が起こると、指名委員会は後任のCEO候補探しに奔走することになるし、次期CEOが外部から、場合によっては全く別の業界から抜擢されることもある。
一方、日本では、取締役とは基本的に社内で実績を積んできた管理職員の中から抜擢される。取締役会とは監督機関ではなく、経営執行の担い手である。そして社長は、取締役会の中の有力な候補から抜擢される。社長は経営の執行のトップであると同時に取締役会のリーダーとして経営全体をけん引する。だから、取締役会での社長の解任というのは日本では稀だし、もし起こればその背後にはメディアがクーデターと表現するような劇的なドラマがあったりする(筆者以上の世代の方なら、かつて流行語にもなった「何故だ!」に象徴される件を思い出すのではないか)。
ある制度を評価した基準で別の構造を持った制度もそのまま評価してしまうと、結果に差が出てくるのは当然といえば当然である。先の国際会議の例に戻ると、「絶対的に日本のコーポレートガバナンスのレベルが低い」という前に、評価の前提となる制度の違いが大きすぎるのだ。では、評価基準の相対性を乗り越えて、日本の制度、慣習を考慮に入れたうえで、どのように「よいコーポレートガバナンス」を考えたらよいのか。
コーポレートガバナンスについて、取締役会制度に絞って日本と欧米の違いを考えてみた。どちらの制度も実は出発点は同じだ。取締役は株主総会によって承認され、会社の「持ち主」である株主によって雇われている形になっている。
しかし、共通しているのはこの法的な出発点だけで、そこから先は決定的に異なる。欧米においては株主によって雇われた取締役は制度的にも、また実態としても株主の利益の代弁者として行動する。一方、日本企業の取締役は、同じように制度上は株主の利益を代弁する位置にありながら、実際には社員の代表として行動する側面を持ってきた。
この場で以前、企業不祥事に際して深々と頭を下げる日本企業の経営陣(つまり取締役兼執行役)と、決して謝らない豪州企業の経営陣(取締役会議長あるいはCEO)の姿勢の違いに言及した。この違いの背景には企業文化的な違いといった要素のほかに、コーポレートガバナンスの体制の違いも影響しているかもしれない。豪州では不祥事に際して、取締役および取締役会はCEOなど執行役を解任するなどの措置をとったりするが、メディア上で謝るといった姿勢を見せることはまずない。一方、日本企業の経営陣は企業の代表者として社会(メディア)に向けて深々と頭を下げる。
この点に着目してあえて日本の制度を持ち上げてみれば、欧米型のコーポレートガバナンスは株主というステークホルダーだけに目を向けているのに対し、日本型のそれは株主に加えて社員も視野に入れていると言うこともできる。取締役は株主の利益だけではなく、社員をも代表している、というわけだ。
もちろん、実際には日本の制度は手放しで評価できるものではない。社員の代表としての取締役という見方は、いわゆる経営家族主義を継承するものとして批判すべき部分もあるし、意思決定の不明確さなど、いわゆる「経営の風通しのよさ」という観点から批判される点もある。だからこそ、欧米型の制度を取り入れて改善を図るという考え方もあろう。日本でも法的に社外取締役や委員会等設置会社など、欧米型の要素がいくらか制度化されている。
しかし、欧米型のコーポレートガバナンス体制も有名無実化しうる。過半数の独立した取締役など、一応は豪州証券投資委員会の基準に従っていても、実際には創業家一族が支配している豪州企業は数多くある。創業家の若い後継者が武者修行で行った事業が莫大な損失を出しても、本人はそのまま執行役兼取締役として残っているといった「取締役会の監督機能などどこ吹く風」というケースもある(大株主である創業家の利益をふまえて留任という言い方もできなくはないが)。
しかも、社外取締役を招聘したから、委員会等設置会社に移行したからといって、それだけで欧米型の制度に移行したことにはならない。実際、日本では社外取締役が過半を占める企業はほとんど見当たらないし、基本的な構造は旧来の日本式の体制のままだ。根本的に異なる性格の制度を補完的に取り入れるという折衷策をとった結果、新しい制度を導入した意味や位置付けが中途半端に見える企業が少なくない。導入する企業は、なぜあえて社外取締役を招聘するのか、なぜ委員会等設置会社に移行するのか、明確な目的を持って、実際の経営に反映させていかなければ、せっかくの改革もあいまいな結果に終わってしまう危険性がある。
取締役会制度に絞ってコーポレートガバナンスを考えてみたが、結局のところコーポレートガバナンスとは、経営という動的な過程を把握するための概念であり、特定の国や地域の制度に基づいた静的な要素による分析には限界がある。古典派経済学が実際の経済のダイナミズムをとらえきれなかったようなものだ。単純に要素に分解し、一律に数値化して評価を行う評価機関も、この点を十分に自戒しなければならない。評価される企業の側も、制度導入といった形式的な部分よりもまず、自分たちにとってのよきコーポレートガバナンスとは何かということを十分に検討し、その実現のための手法として、選択肢として、日本式の制度や欧米式の制度、あるいはまた別の制度を参考に、自分たちの制度をつくっていく、というプロセスが必要に思われる。また、そういうプロセスに取り組む経営過程自体が、よきコーポレートガバナンスを実現するとも言えるのではないか。




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