祖父の時代(2)
親父が頑なまでに口を閉ざした祖父の行状は現状では殆んど窺い知ることができない状態になっている。何も証拠になるものがないからであり、そして僅かな風聞しか残っていない。
曰く、西大寺の会陽には舟に芸者を乗せてどんちゃん騒ぎをしながら出かけていた。山の中にあった賭博場へ出入していた。三兄弟がいて上のニ兄弟の放蕩三昧に呆れ果て末の弟は他家へ養子として出て行ってしまった。
この伝聞で伺いしることができるのは、親が残した財産を道楽息子が散財してしまった構図が浮かび上がる。そしてそれは当時も現在もよくあるケースであり別段驚くことではない。ただ起った場所が辺鄙な片田舎で起ったことであるから当時の田舎では大スキャンダルとなったのであり、そのような当時家の恥と想われていたことを親父が私に話すことではなかったのであろう。しかし本当はそのような身を持って体験した失敗例をしっかり伝聞させず単に家名を汚したというだけで闇に葬るそのことが失敗から何事かを学ぶことを封殺している。今でもあるが失敗を隠蔽して組織に瑕が付くことを恐れる慣例は決してその組織にとって望ましいことではない。徹底した失敗の検証ができて初めてその失敗が生かされるのである。その観点からみると祖父が犯した大失敗が何等生かされなかったのは残念であるし、ただその事実を反面教師にするだけでは余りにもお粗末過ぎる。
起った事実を醜聞としてかつ家の恥としてひた隠しにしてしまい闇に葬ってしまうか、それともその事実を負の遺産として徹底的に検証することで新たな教訓を獲得していき現在に生かしていくことで、その後の人としての生き方に雲泥の違いが出てくると私は想うのである。親父は事実に直面しており、決して冷静には対応できる状態ではなかったと同情はできるが、しかしその事実を私に伝えることをしなかったために我家の大不祥事を後世に生かす機会を失った。
これは今言えることであって、私が在職中は親父も健在であり強いて祖父のことを問い質せば話してくれたかもしれないが、当時も身の回りのことでばたばたしていたためにそこまで気が廻らなかった。その観点では私にも落ち度はあった。
また私自身祖父の行状はよく世間で言われている放蕩息子の散財であるという認識であったためにそれから特段の教訓が得られることでもないと想っていた。しかし親父が亡くなった後、祖父の別の風評が伝わってきた。
祖父は児島湾で豊富に取れていたハイガイ(赤貝に似ている)が韓国でも存在していることを知り、韓国でハイガイの養殖事業に投資して失敗したという話である。これが事実なら祖父は放蕩三昧の生活をしただけではなくて事業開発に失敗したことなりに家名の恥でもなんでもないことになり祖父の汚名は晴れることになる。
しかしこの事業失敗説も眉唾物である、誰かが家名を惜しむために仕組んだ作り話のようなきがする。貝の養殖を日本でなくわざわざ韓国でするという発想事態が突飛過ぎるのである。もしこれが作り話なら恥の上塗りになるだけである。
その後の調査で判ったことは祖父は児島湾の漁業権を保持していた、そして当時既にハイガイを捕獲することが禁止されていたという。そのような背景から判断すると祖父が他の場所でハイガイの養殖をしようとした意図は読み取れる。全くの作り話ではなかったかもしれない、しかし真相は闇である。また晩年まで水田は三反ほど保持していたようであるが兄弟間の財産分割の確執で弟の持分になったという。このような情報から推察すると祖父は少しは度が過ぎた遊び好きの性格で、根っからの放蕩息子ではなく、事業に対するスタンスもギャンブル志向であったという姿が浮かぶ。そして老後資金を残すというような発想は全くなかったことが読み取れる、その点では私に似て極楽トンボであったわけだ。
| 固定リンク


コメント