イスラム教(1)
今一番世界で争いを起こしているのは一神教(ユダヤ・キリスト・イスラム)の世界であろう。元を辿れば同じ神から枝分かれしているのに争いが止まらない。そこで中でも私が一番知らないイスラム教について少し知りたいと思い、Karen Armstrong のA History Of God の一部を翻訳してみた。
西暦610年頃、かつて聖書を読んだことがなく、またたぶんイザヤ書・エレミア書・エセギエル書も聞いたことがないメッカの繁栄している町の一人のアラブ商人はそれら預言書に類似した体験を神秘的にした。毎年クライシュ部族の一族メッカの一員としてムハンマドはラマダン月に宗教的な隠遁をするために郊外のヒラ山に家族を連れて訪れていた。これはアラビア半島では全く共通の行事であった。ムハンマドはアラブの神に祈りを捧げたりしながら、この期間中に訪れて来る貧しい人達に食べ物や金を施したりしながら過ごしたが、彼は多分大部分の時間を冥想に費やしたのであろう。彼のその後の履歴を知る限りにおいて、ムハンマドはメッカにおいて新しい劇的な成功があったにもかかわらず、やっかいな兆候にはっきりと気付いていた。たった二世代前の時期までは、クライシュ族は他のベトウイン族と同様アラビアのステップ地帯で厳しい遊牧民的生活をしていた:毎度生存のための容赦のない厳しい仕事を強いられていた。しかしながら6世紀の終りの頃から、彼らは貿易で大いなる成功をなして、アラビアにおいて最も重要な居住区であるメッカを築いた。彼等は今や桁外れの夢をも超越する富を得ていた。だが彼等の激変した生活スタイルは、古い部族の価値観が凶暴で残酷な営利主義によって破棄されてしまったことを意味し、人々は道を迷い失ったとぼんやりとは感じていた。ムハンマドは、クライシュ族が危険なコース上に居り、彼等を新たな状態へと導く手助けをするイデオロギーを見出す必要があることを知っていた。
この時点ではいかなる政治的解決も宗教的本質へのあるべき姿に対し役立つことはなかった。ムハンマドは、クライシュ族は金を除外した新宗教を築かなければならないことを気付いていた。これはあり得ないほどの驚くべきことであった、なぜなら彼等は新たな富は遊牧民の生命に対する危害を防ぐためであり、また栄養失調や各ベトウイン族が日常直面している絶滅の危険性のあるアラビアのステップ地帯の風土である部族間の暴力に対し備えることであると思わなければならなかった。彼等は現在充分に食事することができ、貿易と高収入の国際センターとしてメッカを築いてきた。彼等は自身が天命の司祭になったと思うようになり、なかには彼等の富は永遠の繁栄を与えてくれるのではないかと信ずることもあった。しかしムハンマドは、この充分な財産への礼賛は部族の崩壊を招くであろうと思っていた。古の遊牧民の日々においては、部族は一番になるか独自の二番になることであった:メンバーの誰もが生存のためには他の部族に全面的に依存せざるを得ないことを知っていたからである。従って彼等は、少数民族の貧しくて傷つきやすい人々の面倒をみる義務を負っていた。現在個人主義は共同社会の究極の目的となっており、競争は常態化してきている。個体化は個人の財産を築くことから始まり、弱体したクライシュ族への心遣いを無くしてしまった。一族同士で或いは部族内の小さな家族間でメッカの財産の分け前を得ようとして互いに争い、数少ない成功した一族(ハシム家のムハンマドのような)は、彼等の生存が大変な脅威に曝されていると思っていた。ムハンマドは、クライシュ族が居住しているセンターで他の超越した価値を学び、利己主義や強欲を抑制し、彼等の部族が共倒れの闘争の中で道徳的に、政治的に自身を変えていかなければならないことを確信していた。
もちろんアラビアの他の場所でも事態は暗澹たるものであった。何世紀もの間ヒジャツとナジド地方のベトウイン族は生活するための基礎的な必需品を得るためにお互いに荒々しい闘争の中で生活をしていた。人々を助けるためには生存するために必須の共同社会の心を教化し、アラブ人は宗教が多くの役割を担うムルワフと呼ぶイデオロギーを導き出すことであった。従来の認識においては、アラブ人の宗教に係る時間は少しだけであった。それらは神々の中の或る異教徒の神であり、アラブ人は彼らの神殿で崇拝したが、彼等は精神生活における神々や聖域の正当性を説明する神話を創造することはなかった。彼等は来世の概念は持っていなかったが、替りに時間や宿命を移すことができるダルフが崇高である信じていた-これは死亡率が極めて高い社会の中ではたぶん極めて重要な役割であった。西欧の学者はムルワフをしばしば「男らしさ」と翻訳しているが、その意味は相当広く解釈されており:戦闘時における勇気や苦難においての忍耐・試練や部族への絶対的な献身を意味している。ムルワフの徳はアラブ人に二番目の告示として個人の安全に関係なくサイド又は族長に従うことを要求する;彼は、部族に対する如何なる悪意のある敵対行為に対しも復讐することと、攻撃を受け易い多くのメンバーを庇護することを騎士道の義務として自身を捧げなければならない。部族の生存を確実にするためには、サイドは富や所有権を分配し、彼に属するたった一人の人間でも死亡したら殺人者がいる部族の一人を殺すことにより復讐した。ここに我々は共同社会の道徳を最も明確に知ることができる:イスラム教化以前のアラビア社会を除いて個人は無視することができる故に殺人者自身を処罰する義務は全くなかった。その代わりに敵部族の或るメンバーがその目的のために他者に対して同等の価値があるとみなされていた。敵討ち或いは血の復讐はほんの僅かな社会の安全を確実にする唯一の手段であった、それは中心的権威がなく、部族のグループ毎がそれ自身に対しての規則であり、近代の政治的権力と比較できるものが何ら存在しない社会であった。仮に族長が復讐に失敗した場合は、誰もが彼の部族を尊敬することは無くなるであろうし、罰を受けることなくそのメンバーを殺すことは自由であると思われるであろう。敵討ちはそれ故に粗野で手っ取り早い処罰であり、如何なる部族も他の部族を支配することが簡単にはできないことを意味していた。それはもちろん、種々の部族が暴力の無限サイクルに簡単に巻き込まれていくであろうことを意味し、仮に人々が受けた復讐は元の犯罪に対して不釣合いであると感じたら、一つの敵討ちは他の復讐を導きだすであろう。
ムハンマドが属するクライシュ族はメッカが交易都市と栄えるにつれて多くの富を獲得した。そして人々の価値観が大きく変貌するなかで、ムハンマドは新たなる宗教が生活規範として必要であるということを認識したという。古代宗教は神への単なる信仰のみではなくて日常生活に密接にかかわっていた。そして宗教の原理主義を貫けばこの原点に戻ることになる―即ち宗教は生活への普遍的ルールである。
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